結界を張るために1時間地元の人たちと田んぼ周辺を歩いてきた【虫送りって行事】
どうも。広報担当小出です。本日の東温市は最高気温26度!麦刈りや田植えに最高のお天気になりました。とにかく暑い。ところで・・
結界を張ってきました
実際には結界を張る予定の道を歩いたんです。というのも、東温市の田窪地区というところで6月19日に「虫送り」という行事をするという情報をキャッチ。地元の区長、副区長さん(※)に道案内をしてもらいました。
中川さん(左)と白石さん(右)
区長さん、副区長というのは、地元の自治会の会長さんです。東温市には35の地区(自治会=町内会)があり、各地区で地元の皆さんが役員をされています。
虫送りの起源
虫送りは別名「実盛送り」と言います。なぜ実盛なんでしょう?
平家の武将斎藤別当実盛(さねもり)は、白髪を染めてまで合戦に行く豪傑。当時50歳が寿命だったところ、70歳で合戦に行っていたそうです。しかし伝説によると、実盛は戦闘中不覚にも稲株に足をとられて討ち死にしたそうです。転んだ拍子に不意打ちをくらったなんてつらみです。
彼は怨霊となり稲虫に化して稲を食べて作物に危害を加え始めます。困った当時の農家さんは、不運な死をとげた彼を祀って、農作物の被害を抑えようとしたそうです。さらに地域の境界に祈祷してもらった札を立てて、虫を外に追い払う行事を始めます。それが「虫送り=虫祈祷=実盛送り」として地域の行事になりました。
まずはお話聞きまして
6月19日は感染症対策で車で札を立てていくそうです。
中川さん 本当なら地域の子供達に行事の謂れや地元のことを伝えるパワポも用意してるんですけどね。
ということで会議室でミニ講習を開いてもらいました。
行事の謂れや進め方をレクチャー。手が混んでます。『子供達にとっては地域の行事は集められて、指示通り動かされて終わり』。そんなつまらないものにしたくないと区長さんたちが試行錯誤したそうです。歴史も噛み砕いて教えてくれるので、興味が湧きます。
実際に歩いてみました
地区の境界をテクテクと歩きます。気分はブラ◯モリ。
白石さん 昔はここは2mの土手だったそうで。重信川の氾濫を防いでいたみたい。土手なのにくねくねしてるのはなんでだろう。決壊したところから次々に補修していったからでしょうか。当時の苦労が垣間見えますね。
中川さん これが去年立てたお札。8カ所に立てたんですが、1年たっても残ってます。やっぱりこうゆうお札って「バチが当たる」と思って誰も触らないんですね(笑)
これは宇氣洲神社(うきすじんじゃ)といいます。
白石さん 屋根に飾られた丸い紋が左右で違います。これは重信川の氾濫から逃れるために、当時の「三島神社」を移転したからです。
地元でも気づかないことに「なぜ?」を生み出して、わかりやすく解説してくれます。もはや小学校の地域学習。
当日が楽しみです
テクテク歩いていると「なにしよん?」とお二人に声をかける方がいっぱい。「虫送りやめたんけ〜?」と、地元の方も気になっている様子。感染症対策で規模は縮小するみたいですが、ちゃんと6月にありますよ〜。
「広報の人を案内しよんです〜。」と中川さんが言うと、「広報?見とりゃ〜せんわ〜笑」。
・・・。見られるように努力します(笑)
中川さん、白石さんありがとうございました!当日楽しみにしています。ではまた。
しかし暑かった。