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農業者こそプライドを持って【インタビュー:農業者 大森陽平さん】

5月に東温の大地を黄金色に染める「麦」。愛媛県は麦の生産量日本一で、東温市は県内有数の産地です。

今回は第一線で働く農業者の声をご紹介します。

㈲ジェイウイングファーム:大森 陽平さん(おおもり ようへい)

会社の理念を引き継ぐ取締役。優しく情熱的。
妻と子の3人暮らし。

「感染症の影響で、“食とはライフラインで一番重要なもの”とより強く感じました。誰だって家にいても食事をとります。食材を作る農業者として、もっとプライドを持ってやっていきたいですし、農業者こそ明るくないといけません。前を向いて農業と向き合っていきたいです」。㈲ジェイウイングファーム(以下「JWF」)の大森陽平さんは話します。

引き継いだ景色を守りたい

大森さんは就農して10年。関西で育ち、関西で就職。父の実家である下林地区に帰省した際、耕作放棄が進む田畑を見て、幼少期に感じた風景の変化に心を痛めました。

先代たちが引き継いだ景色を守りたい」と東温市に移住を決意。

現在は会社の取締役として腕を奮いますが、「仕事は初めてのことだらけ。マイナスからのスタートでした。関西の生活は水路や畑とは無関係だったので、普段の景色にも思い出にも農業はありません。今でも分からないことだらけです。10年続けても、10回しか収穫してませんから」と謙虚です。

差別化した“もち麦”

5月には、東温市の至る所で麦の収穫機材が音を響かせ、刈り取ったばかりの畑から芳しい匂いが漂います。JWFのある北野田地区の圃場には、黄金色に輝く「はだか麦」と紫色の実を大きく実らせた「もち麦」の畑が広がります。

この紫色の麦が“もち麦”です。

「会社代表の牧が、50年ほど前の海外研修で、農業規模の違いを肌で感じたそうです。海外は一人の農業者が扱う畑が香川県くらいある。大きさで勝負しても日本の農業では太刀打ちできません。差別化を図らなければ、生き残れない。どんどん田畑は廃れていきます」。

JWFが手がけるブランドもち麦[媛もち麥]
一般に、もち麦と呼ばれているのは裸麦(もち性)のことで、中でも黒紫色の実を付けるものは、弘法大師(空海)が唐から麦の種を持ち帰ったという伝説が残る瀬戸内海沿岸地域で古くから栽培されていたことから“ダイシモチ”とも呼ばれています。四国農業試験場で1997年に育成された品種でその開発にジェイ・ウィングファームが深く関わっていました。もち麦の生みの親としての意地と心意気で更なる高品質化を目指し、完成したのがプレミアムなもち麦[媛もち麥]です。(JWFホームページより引用)

耕す理由

現在JWFでは、約60ヘクタール、700枚の圃場を耕作していますが、99%は借地だそうです。

「就農して少し過ぎた頃、代表の牧と話したことがあるんです。『なんで耕作しづらい田まで引き受けるんですか?』って。今となっては恥ずかしいですけど。牧は『単純に効率を求めれば、三角の形や小さな圃場は扱いづらいもの。けれども効率だけを求めては、私たちの会社の存在意義がないよ。地主との人間関係をつくり、景色を守っていくことが、私たちの理念だから』と話してくれました」。

農業の喜び

「自然相手の仕事なので毎日同じことは起こりません。大事なのは麦の“声”を聞くことだと思っています。色が悪かったり、病気にかかっていたり、何が足りていないのか、補いすぎているのかを推察していく。やったことが違っていることも当然あります。でも、うまくいったときはしっかり美味しく育ってくれる。収穫の時やお客様の『美味しい』の声に、農業の喜びを感じますね」。

コントロールできない自然相手だからこそ、毎日の観察を大事にします。

大事なのは横のつながり

大森さんが大事にするのは自分の田畑だけではありません。大森さんの目は温かさと決意に溢れます。

「農業は自分のところだけよければいいという気持ちではできません。水だって上から下に流れて、多くの人が恩恵を受けて大事にしています。ただ若い農業者として、自分たちが引っ張っていくんだという気持ちと、横のつながりを大事にして、東温市の皆さんに『食』を届けるスタートに立っていきたいと思いますね」

JWF本社前での集合写真。後列左が先代の牧 秀宣(まき ひでのり)さん。

この記事は広報とうおん2020年6月号の内容を元に作成しています。

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